ヒマ人クラブ5th

5回目の引越しです。どうぞ、よろしく^_^

忌野清志郎 5月2日 忌野忌

2009年5月2日 ヒマ人クラブのブログから

「ぼくの好きな先生」は、カラオケのお気に入り曲。

RCサクセションとの出逢いは、この曲に始まる。

中学3年の7月。

台風が上陸した真っ只中で行われたコンサート。

これが最初で最後のRC。

ドラゴンズ・ファンであった忌野氏。

最近は、小康状態であったと思っていた。

高田渡氏に次ぐ、私の青春のアイドルの死。

お悔み申し上げます。

合掌。

R.C.サクセションとの出会い

1972年7月14日だったと思います。

現在は撤去された豊橋公園内にあった豊橋市体育館でコンサートが行われました。

記憶に残っている出演者は、泉谷しげる、R.C.サクセション、シュリークス(のちのイルカが夫婦でやっていたグループ)です。

しかし、当日は台風が豊橋に上陸するという状況の中でコンサートが行われ、新幹線で移動していた泉谷しげるはコンサートに来れませんでした。

コンサートは、体育館の床にステージを作り、観客は床に座って鑑賞しました。

なので、ステージは観客席から近いところにあったのですが、一緒に行った友人が双眼鏡を持ってきていたので、それを借りてR.C.サクセションを見ていました。

今でいうMCで、清志郎が「双眼鏡で見ている奴がいる」と話題にしてくれました。

このことは、ずっと良い思い出となっています。

台風が上陸してしまったため帰宅の足がない私たちは途方に暮れていましたが、たまたま居合わせた中学の部活で1学年上の先輩から声を掛けられ、先輩の家族の自動車に乗せてもらって帰宅することが出来ました。

その後のR.C.との関わり

1980年、「エレキ化」されたR.C.は、「雨上がりの夜空に」「トランジスタ・ラジオ」のシングル・ヒットで表舞台に立ちました。

古井戸の仲井戸麗市と組んだR.C.にはぶっ飛びました。

 キティ・レコード 『EPLP』1981年発売

を購入しました。

それから、社会的に過激な詞で発売中止騒ぎになった

 『カバーズ』CD

とか、モンキーズの「デイ・ドリーム・ビリーバー」を収録している

 タイマーズ『ザ・タイマーズ』CD

を購入、YouTubeでよく取り上げられるハード・オフで、

 『RHAPSODY』レコード

を購入、モノクロ・ジャケがカッコイイですね。

三宅伸治との出会い

小生の地元にあるライブハウスに三宅伸治は主にソロで活動していました。

清志郎の復活祭のステージに、仲井戸麗市の横に立っていました、

R.C.サクセションのメンバーではありませんでしたが、今改めてウキペディアで知りました。

清志郎の運転手兼付き人をしていたことを。

タイマーズ忌野清志郎&NICE MIDDLE with NEW BLUE HORNSで清志郎のバンドに参加しました。

三宅伸治プロジェクト『music planet ~ いいことがあるといいね』2000年発売

同『Guitars'talk』2002年発売

デビュー30周年記念トリビュート・アルバム『ソングライター』2017年発売

鮎川誠、友部正人と3人で京都・磔磔で行ったライブアルバム『3KINGS SING THE BLUES』2018年発売

以上のアルバムを購入しました。

清志郎と新城

生前、清志郎は共通の知人の結婚パーティで旅館の女将一家と知り合いになり、自転車好きの彼は湯谷温泉(旧鳳来寺町、現新城市)に宿泊することがありました。

彼には、実の親と育ての親がおり、実父をこの温泉旅館に連れて来ました。この時、女将に「親孝行できたよ」と語ったといいます。(2011年6月20日朝日新聞掲載記事参照)

2017年4月2日、野外ライブ「三宅伸治 Presents 『感謝の日』vol.8 ~ 奥三河Rainbow Rock Fes ~」が新城市で行われました。

三宅伸治が2010年から毎年4月2日に東京都内で行ってきた音楽イベント「感謝の日」を新城に誘致・開催されました。

山崎まさよし金子マリ竹原ピストル浅野忠信間寛平石塚英彦らが出演しています。

このイベントの開催は知っていましたが、大々的なイベントが苦手なので参加しませんでした。

最近の動き

忌野清志郎 完全復活祭 追加公演最終日 2008年3月2日京都会館第一ホールのライブ音源が『LAST LIVE at 京都会館 2008』として2025年4月02日(清志郎の誕生日)にLPとCDの2種で発売されました。

商品紹介によると武道館公演では演奏されなかった「い・け・な・いルージュマジック」が収録されているとのことです。

おわりに

三宅伸治も参加した忌野清志郎Little Screaming Revueが制作した

『冬の十字架』1999年発売

は、収録曲「君が代」に関しポリドールは発売を中止しましたが、アルバムはインディーズから発売になりました。

話題が呼んで売れたそうなんですが、小生もどこかにしまい込んでいるはずです。

彼のロック魂の中に政治性を感じたことは一度もありませんが、どこかに反骨精神はあったんでしょうね。

ほんとうに最後になりますが、清志郎がドラゴンズファンになった訳をウキペディアで知りました。

「中日の応援を始めたきっかけは、1991年から活動していたバンド名(忌野清志郎&2・3’s)にちなんで、阪神タイガース(23番は吉田義男永久欠番)を除く11球団に背番号23を付けた現役選手のレプリカユニホームの提供を呼び掛けたところ、中日だけが当時23を着用していた川又選手のレプリカユニホームを届けた」ということです。

いつまでもご冥福をお祈りいたします。

(敬称略)